教会で奏楽奉仕を献げている兄姉へ 自由に、楽しく主を賛美しましょう。

証し

証し

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私は両親クリスチャンの家庭に生まれ育ちました。
幼い頃から教会に通い、暗誦聖句(聖書の御言を暗記すること)はいつも一番良く覚える真面目な子供でしたが、イエス・キリストと個人的に出会う、という体験はありませんでした。

中学に進むと私はテニス部に入り、一生懸命部活に打ち込みました。私は変わりたかったのです。
というのも、幼少の頃から運動が苦手で、徒競走はいつもビリ。野球は下手。水泳も大の苦手。まだ幼稚園生のころ、水泳を(腹痛で)見学して帰ったところ、母から「この意気地なし」と罵倒され、そのことがいつまでも忘れられない記憶となって残っていたからです。
毎日練習に明け暮れ、正月以外は休みのない、厳しい部でした。日曜日にも試合があり、礼拝を休むうちに、だんだんと教会から足が遠のいていきました。
私には教会へ行くよりも、身体を鍛え、根性のある人間になることのほうが、自分にとって大切なことのように思えました。

しかし、教会から離れてしまうと、だんだん信仰が失われてゆきました。
一番悩んだことは、聖書に書いてある通り、神が天地万物を創造されたのか、それともダーウィンが言うように、すべては偶然に進化してきたのか、ということでした。
周囲のほとんどすべての人が進化論を信じている(とその当時の私には映っていた)のに、彼ら皆が間違っていて、ごく少数の(神が創造したと信じている)人々が正しいのだろうか?
幼い頃は何も疑わずに(神様によって創られたと)信じていたことが、信じられなくなってゆきました。
ついには「自分が死んでも、(誤って踏みつぶして)蟻が死んでも、同じことなんだ」という、どうしようもない虚しさに陥ってゆきました。
その虚しさを紛らわすかのように、私はますますテニスに打ち込んでゆきました。

その当時、「スポ根もの」と言われる漫画が流行っていました。「巨人の星」「明日のジョー」etc、、、
努力、根性、人知れず練習を積み重ねれば、必ず最後には勝利する、というストーリーに私は憧れました。
しかし、いくら頑張ってもテレビのようには行きませんでした。
附属高校に進学した後もテニスを続けましたが、どんなに努力してもレギュラーにはなれず、それどころか、下級生や高校から入部してきた人たちが私を追い越して行きました。
私は静かに、しかし確実に失望してゆきました。自分が価値のない人間に思えました。学校から帰宅するあいだ中、涙が止まらず、泣き続けて帰ったこともありました。
そんなとき、クリスチャンの体育の先生が赴任してきました。

私は驚きました。私が知っているクリスチャンといえば、教会にいるお年寄り、あるいは青白い顔をした真面目な人たちで、おそよスポーツマンとは対極の人たちでした。
しかも、聞けばその先生は、毎朝教会で礼拝を献げてから出勤してくるというではありませんか!
私など、一週間に一回の礼拝でも面倒で束縛と感じていたのに、毎朝礼拝に行くという、、、。「一体どういう教会なんだろう」と心底驚きました。
そこで私はこの先生を遠巻きに観察し始めました。すると、あるとき、先生は生徒たちとの雑談の中で「聖書には『天に宝を積みなさい』と書いてあります」と言われました。私は思わず恐ろしくなって逃げました。「この人は本当に信じている」とわかりました。そして教会から離れてしまっている私に対し、神が怒って罰を与えるのではないか、と怖くなったのです。
その日以来、私の頭の中でグルグルと同じ問いが巡るようになりました。神が(聖書に書かれてある通り)天地万物をお創りになったのか?それとも人間は偶然生まれ、進化してきたのか?
とにかく、あの先生の教会に行ってみよう、そう決心し、高校二年の8月、先生の教会に行きました。

礼拝には100名以上の人々が出席しており、驚きました。私が知っている教会は、どこも10名足らずでした。メッセージが始まりましたが、途中で牧師が「今、主が語りました」と言われました。すると、突然、会衆がみな両手を挙げて、何やら奇妙な言葉を発し始めました。私は仰天しました。どうしてよいかわからず困惑していると、隣に座っていた先生が、手を挙げて「ハレルヤ、ハレルヤ」と繰り返すようにと言うので、私は恐ろしさのあまり、目を堅くつぶり、両手を力いっぱい挙げて、「ハレルヤ」と大声で繰り返しました。どのくらい時間が経ったかはわかりません。礼拝が終わると私の両腕は攣っていました。(後に、この奇妙な言葉は聖霊の賜物である「異言」だと知りました)

とにかく驚きの連続でしたが、私は「神様は本当にいる」「幼い頃、聞いていた聖書の言葉はすべて本当だったんだ!」とわかりました。その日から毎週その教会に集い始めました。自宅から電車で2時間近くかかりましたが、毎週日曜日、教会へ行くのが嬉しくて、一日が終わって帰るのが辛い気持ちになるほどでした。私は、全能の神が天地万物を創造されたこと、また私もこの方によって創られたこと、そしてひとりひとりが本当に尊い価値ある存在として神に創造され、生かされ、愛されていることを悟るようになりました。虚しさから解放されました。いつも淋しく俯いていた私でしたが、友達がどんどん増えてゆきました。弟も妹も導かれて救われました。そして私を含め兄弟3人とも教友と結婚して家庭を築き、子供たちが生まれ、現在に至っています。振り返ってみればあれから30年が過ぎました。

この30年間、いろいろなことがありましたが、確かに言えることは、イエス・キリストは今も生きておられる真の神様だ、ということです。
そしてこの方は実に恵み深い、善いお方です。私たちに変わることのない喜びと幸せを与えて下さいます。私たちの人生を、ご計画をもって導かれるお方です。どうぞあなたもイエス・キリストを信じて心に受け入れて下さい。あなたの人生が素晴らしく開かれてゆくことを確信します。

2016年2月
鷺谷義和

証しパンフレット 

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